<4>順調な恋と私の手 30代半ばの私
30代半ばになろうかという頃、またしても私に新たな転機が訪れます。そう、恋人ができたのです。優しくて頼り甲斐のある誠実な彼。バツ1子持ちのワケあり女の私を全て受け入れてくれた人。
恋というものは、こうも女を変えてしまうものなのか・・・カサカサだった私の心も手にも、とてつもない潤いを与えてくれました(笑)
おまけに不仲だった母とも和解でき、食事や洗濯などの家事を、母が引き受けてくれるようになり家庭円満、恋も主婦湿疹も、すこぶる順調でした。彼がお金の援助をしてくれていたので、貧乏脱出、お金の心配もなくなり、仕事は週4日行っていたクリーニング屋の仕事だけ続けることになりました。
クリーニング屋の受付は、常に大量の衣類に触れます。特に衣替えのシーズンは、それはそれは大変な繁忙期で手を酷使します。主婦湿疹なのになぜこの仕事を選んだんでしょう?(笑)そんな手を酷使する仕事ですが、それでも手荒れはなく順調順調!
この頃は、スーパー銭湯に行くのが何よりの楽しみで、色んな銭湯めぐりをしました。手荒れがひどい時は、お風呂に入るのが拷問のように感じていたのが嘘のよう。まさに「ふぅ、極楽、極楽~!」という気分(笑)
塩サウナに入り、塩をガバッと掴んで体に擦り込むこともできてました。塩を素手で触るなんて、バックリ割れの主婦湿疹では到底できないことがあの当時は普通にできていたんだな・・・
主婦湿疹が治った!今度こそ、そう思っていました。
再婚新生活
彼と出会って3年、またまた人生の転機が。そう、再婚です。私のカサカサをウルウルの潤いに満たせてくれた彼と、めでたくゴールイン!優しい旦那様と、息子と三人で暮らす新たな生活が始まりました。久しぶりの主婦業と週4日のクリーニング屋のパートで、忙しい毎日の始まりです。
しかし、じわじわと忍び寄る手の荒れ・・・気がつけば、手はボロボロになっていました。あっという間に主婦湿疹の再発。
指という指に亀裂が入り、もう手を軽く握るだけでペキペキと割れるような感じ。バックリ割れていない指を見たことがないくらい。指は絆創膏だらけ。一本の指に2枚ずつ貼るときも。
夜は痒みが止まらない。何度も痒みで目が覚める。掻きむしるので更に手荒れは悪化。痛みと痒みに襲われる最悪の状態。朝起きると手袋に血がついていて、その血が乾き皮膚に手袋がピッタリ張り付き手袋を外すときの痛みは半端ない。痛いのなんのって!
大好きなお風呂も、もはや苦痛でしかなく、2、3日に一度くらいのペースで入浴。入るときも軍手をしてビニール手袋をして輪ゴムで留めての入浴。
この頃は、一日中綿の手袋をしていました。手袋をしていないと痛くて何もできないくらいでした。
それでも、なぜかクリーニング屋の仕事を辞めない私。夫が働いてくれるお金で十分生活できるし、夫も「辞めたら」って言ってくれてたのに。今思い出しても、なぜ辞めなかったのか未だにわからない(笑)
ある日、仕事先で一人のお客さんが手袋をしている私を見て「手、どうしたん?」と声をかけてくれました。「手荒れなんです」と言って、手袋をとって手を見せると、「うわ、かわいそう。実は私もそうやってん。もう治ったけど」とお客さん。
話を聞くと、その方も以前ひどい手荒れだったらしいのですが、「手荒れの原因は歯かも」と、通っている内科の先生に言われて歯の治療をしたら手荒れがピタッと治ったというのです。
「その先生、めっちゃいいよ、あんたも行き!」と病院を教えてくれました。早速、教えてもらった病院へ!
ビオチン先生
そこは古くて小さな病院。手袋を外し手を見せると、先生と看護師さんが二人同時に「うわぁ・・・」って。それくらい私の手はひどかった(;^_^A
「ビオチンって知ってる?試してみようか」と先生。新しい治療方法に私は嬉しくて嬉しくて。だってこれまで色んな皮膚科に行ったけどステロイドしか出してもらったことがなかったから。
その日からビオチン治療の開始です。一日三回ビオチンを飲むだけ。効果は・・・劇的に変化ってことはなかったと思います。・・・多分?というか、記憶がないんです。全く(笑)
その頃、息子の高校受験で私の頭と心の中は受験、受験、受験だったのです。受験を控えているのに全く勉強しない息子にイライラハラハラ。気持ちばかりが焦るという、そんな感じの毎日でしたから。
覚えているのは、ビオチン先生が週に一度の午後だけしか病院にいないので、なかなか診察のタイミングが合わず、通院とビオチンをやめてしまったこと・・・くらい。
人間って、こんなに記憶がぶっ飛ぶこともあるんですね。ほんと記憶がない!私がバカなだけかしら(笑)